![これ描いて死ね(7) (ゲッサン少年サンデーコミックス) [ とよ田 みのる ] - 楽天ブックス](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/0617/9784098540617_1_19.jpg?_ex=128x128)
これ描いて死ね(7) (ゲッサン少年サンデーコミックス) [ とよ田 みのる ] - 楽天ブックス
最新巻7巻。
7巻が毎話涙涙で、疲れるほど泣けるので、「あれ?おもしろいのはわかってたけど(いつでも読み返すことができるところに置いてある)、こんなおもしろかったっけ?」ってビビってしまう。おれはおれの涙があてにならないことが知ってるから、どんなもんじゃ?と1巻から読み返してみたところ、1巻からめちゃくちゃおもしろいことに気がついたし、7巻もまたおもしろかったし、なにもブレがなかったので、おれがボケてただけでした。
めでたしめでたし。
で、書きたいことが90%書けたのであとは余談を書いていきまーす。
TVアニメ決定(日本テレビ)&第70回小学館漫画賞受賞の祝祝巻が7巻です。おめでとうございます。アニメ化楽しみ!
7巻あとがきにあったけどアニメ化って3年前から動くんだね。だから、3巻のマンガ大賞2023年大賞受賞あたりから動いていたのかなーとか。
あらすじー
東京の島、伊豆大島に住んでいるマンガ好きJKらがマンガを描いていく話。仲間と一緒に切磋琢磨していく、マンガ描きマンガです。
本作は主人公が愛してやまないが作品を出さないマンガ家が新作を発売するからってコミティアに参加するところから始まるのよね。それが主人公の教諭兼漫画研究部顧問だったのです。
読み返して、おれも孫ができてから初のコミティアに行った原動力は思い返すと本作だったなあと思いだした。(ま、帰ってから入院だったし、体調最悪だったからもう1回くらいリベンジはしたいと誓ってるが、さて)
7巻も何回目かのコミティアがキーとなっている。コミティア(と東京旅行)がキーではあるんだけど、毎回切り口がちがうんよね。でも、感動はいっしょなんだよね。でも、7巻は特別きたんだよね。
6巻までも7巻でも、創作の業に囚われてるマンガ描きの鬼が切磋琢磨し悩んで笑って喜んで怒ってズタボロになったり輝いたりしている話ではあるんだけど、その漫画研究部にあって唯一描いていない赤福にフォーカスが合ってた回がひときわ刺さったんだとな。
マンガ読みの業とファンの業とその「義務」と「責任」みたいなもの(自信ないからカギカッコで閉じました)を描いていてそれがとても沁みした。
おれも創作の業に取り憑かれることはなかったが、マンガを読むことくらいしかまともにやってることない人生だからなあ。アニメ化も決めてないし。
ま、こういうところで感想書いて20年とかになってるからまあまあマンガを読んでいるし語っていると思ったからこの赤福ってキャラと彼女をわきで解説しているキャラの回にしびれたんだな。
思えば彼女は1巻からマンガを読むってことでの才能があった。小出しにあったけど、「赤福すげえな」ってのは彼女のパーソナルなところが担っていたために、ナイスキャラって扱いだったのが、彼女の持つ才能「マンガ読み」が開花したのです。
「これ描いて死ね」って本作のタイトルであるがコンセプトでもあるわけよ。
毎巻末に先生の過去編が語られてます。これが7巻で終わりまでたどり着きました。終わり、すなわち「現在」です。
先生は元マンガ家だけど「これ描いて死」んだわけです。かんたんに言うならば。だからこそ教え子にはこれ描いて死ねってほどのめりこむなとして自戒と教師の責務として伝えてます。
でも、ずっと教え子らは創作の沼に潜っていきます。それも先生は字の通り先に生きてきた、同じ道を辿ってきた先達としてわかっています。そして、読者代表として身近に彼女らの創作熱にやられてる赤福も無事でいられるわけはない。だがコメディリリーフとしてのほほんとしたキャラとして収まっていたわけです。が、実は熱いマンガ愛があるんだなって感じがよかったのよね。
あと表紙にもなっているナナちゃんの過去と謎多き「現在」も描かれていた。巻末の過去編も彼女にフォーカスもあってた。彼女もマンガの熱に飲み込まれていたんだな。しかもきちんと伏線があった。ナナちゃんが毎回コミティアにいってること、新作を発表し続けてることを知っていたからこそ、1巻で筆を折ったはずの担任先生も新作をコミティアで発表したわけです。
教え子らもそう、そして大人らもそう、赤福もそう。登場キャラ全員そう。それぞれのマンガ愛とマンガとの関わり合いと熱にほだされまくりの涙まくりだったのですね。
それは読者もそう。
つまり、
マンガはいいよねえ。
ってことです。
あとまあ5巻から登場した新キャラ麗さんもいい絡み具合だなあ。けいおん!なんかでおなじみのひとりだけ入部する後輩キャラなんだけど、うまく使ってるなあと。
7巻は赤福以外のマンガ描きキャラの「孤独」が描かれているのがまたいいよな。みんなそれぞれに大小や種類はちがえどもマンガと向き合うことでの孤独があり、それがまたいいコントラストを生み出してるわ。麗さんの主人公グループとはまたちがった孤独も描かれていたのがとてもよかった。
でもって描画。もうわりとデビュー時からずっと絵が変わってないように思ってたけど、本作だって1巻からだいぶ変わってるし、7巻がまた変わったなあと思った。
とくに7巻冒頭のもうひとりの主人公手島零に実験的とも思えるくらいいろいろな表情をさせててそれがまた絶品。
作者のとよ田氏もとくSNSで描いてましたが、マンガ家はプロでもアマでもベテランでもルーキーでも「かわいく描けた」といってイラストをアップしてますが、それってやっぱりかなり重要なことなんだなとあらためて思ったりしました。7巻はお得意の並列描画が多かったのです。そこでのそれぞれの喜怒哀楽で収まらない複雑な表情がまたすごくて。たとえば3組が同時にコミティアで編集に持ち込みシーン。その繊細な機微を表情で魅せていた。すげえ!って。
そいでそれに負けないくらい、舞台である王島の風景がもまたキレキレで。点景として王島、心象風景として王島、彼女らをやさしく見守っている王島。モデルとなった大島のガイド表紙も彼女らが描いてあるそうで。アニメ化前に聖地が決まっているのもいい話ですね。
だからね、なんというか、どんどんスキがなくておもしろくなっていって、なんか「売れるマンガ」になっていってるなあと。
ちょうど7巻でも売れるマンガ売れないマンガって話が出てきてますが、「マンガのラジオ」って1ヶ月にわたってひとりのマンガ家に長時間話しを聞くってポッドキャストで、とよ田みのる氏が売れるマンガを目指すってことを仰ってたんですよね。前作「金剛寺さんは面倒臭い」では実験をやりたおした反動だったらしいです。
その、なんていうか「売れる」力に磨きがかかってきた。マンガ家にはそんな時期や作品があるような気がします。手癖とこれまでの蓄積できたのとちうがう燃料とエンジンに切り替える瞬間。
それは1作のヒットマンガ内でもあって、どこからこうって指摘するのは難しい複雑な層状のものだと思いますが、本作は最初からそうでしたが、5巻あたりからギアが上がって、さらに毎巻いろいろなところから「売れる化」している気がします。
「売れる」って響きがあまり良くないかな。マンガの売れるって、つまり、「おもしろい」と思うひとが増えるってこと、つまり、刺さるってこと、つまり、広範囲に攻撃効果が届くってこと、つまり、本作に即して言うならば、「これ読んで死ね」ってひとがますます増えていってるなあって。
いやあだから、7巻の感想は「ああ、死んだ死んだ」でもいいんかなあと。

これ描いて死ね(7) (ゲッサン少年サンデーコミックス) - とよ田みのる