なぜなら、エロマンガを読んで「いい」と思うには2種類の方向性があるからだ。
ひとつは、チンチンが勃つ、すなわち興奮するという点だ。マンマンが濡れるでも同じだ(以降はこういうレベルの下品な文章が続くと思っていただきたい)。
もうひとつは、それ以外だ。絵が綺麗、話がおもしろい、キャラがいい、シチュエーションが良い、斬新な設定、泣ける、笑える。みんなそれ以外だ。
これらは不可分ではある。絵が綺麗でエロい、話がおもしろくてエロい、以下同文と。こういうのも十分に有り得る。
だから、つい、話もおもしろいからマンガとしてもいいよって書き方をする。しがち。したことたくさんあります。
でも、それは本当でもあるけどどこか逃げでもある。
エロマンガにおけるすべてはエロを使役するためだけに必然性が生じるものだからだ。つまり、「エロい」こそが最初にして全てにして最高条件。これはすべてのエロコンテンツに共通していること。
ただここですべてのコンテンツに共通して問題点が生じる。
エロいと感じる感じ方は個々によりちがう
これです。ほかの娯楽作って案外とおもしろさに共通するものがあるしセオリーがあるし、そりゃエロコンテンツにもあるけど、セオリーを守ったら平均点が取れるかというとそうならないのがエロマンガの不思議なんですよ。
わかりやすいのでいうと、巨乳が好きなひとが、貧乳のひとが主演したエロいものをみても、100点は出せないってこと。
巨乳好きと幼女好きだからって巨乳幼女が出る作品でも無理なひとは無理になる。混ぜてもOKなひととダメなひとが出る。
人間の性における感受性って難しいんですよ。
と、ここまではポトチャリコミックでのエロマンガの感想文でもよく書いているんですが、この先ですよ。
じゃあ、とりあえず、趣味に全振りしたチンチンにくる作品をそのまま語ってみるってのはどうだろう?ってことなんですよ。これだとこれはエロいぞってことは伝わりやすいんですよね。少なくとも似た性嗜好のひとには伝わりやすい。たまに、アマゾンやDMMでそっちに特化した神レビュアーがいらっしゃるじゃないですか。そういうひとはそういう特化した趣味の熱量をj語るのに長けてるひとだ。
ただ、これにが問題があるんですよね。
恥ずかしい
恥ずかしいんですよね。自分のストライクゾーンを語ることや知られたりするのは恥ずかしいよ、やっぱり。オフで会うこともめったにないんですがそれでもな。積み重ねてきたブランドイメージってものがあるじゃないですか(おれに関してはあまりないか)。
だから、匿名ダイアリーみたいなところでする推しの話でも固有名詞は隠しがちになるのがわかりますよ。推しについて語る、って、つまり推しに対する性的消費の話でもあるわけだから、「あー、〇〇スキスキ、毎日おかずにしてる」ってのがすなわち「推し活」なわけですから。
推し活=自慰行為
ですから。
でもたまーに、「そんなこと関係ない。おれはこれをみてチンチンが勃ったってモノについて語りたい時があるんだ!」ってね。
つまりは、いまが、そういうフェーズになったってことなんです。
最近、そういうのを読んで、チンチンにきてしょうがないよーってことを書きたいなーと。
そんなこと書くのやっぱり恥ずかしいのでダラダラと長い前置きになっているのですね。ガマン汁ってことです(こういう下ネタを恥ずかしがれという話ですが)。
恥ずかしいってのもエロには大事なんですよね。だからこれもプレイの一種かと思いきや、おれはそういうの「ご褒美」って感じはないんですよね。だから恥ずかしいんだよ純粋に。いまでも。これは書いているけど発表できるか現時点ではわからない。でも、書きたいので書いている。かなり純粋な意味での自慰行為です。書くと(マスを)かくとかけてるわけです。
折りたたむわけです。そして具体的な作品を書くわけです。
追記あり