2022年02月13日

令和4年の答え合わせ〜大友克洋全集 8 童夢〜



2022年1月21日に大友克洋全集が発売された。1回配本は「童夢」と映画「AKIRA」のストーリーボード。おれはマンガにしか興味がない気味なので童夢だけとりあえず買った。金銭的な事情も大きい。童夢にしても税込み2970円ですからね。でもこれは買ったよ。そりゃあ買うよ。

オリジナル版は発売は1983年8月18日。任天堂ファミリーコンピューター発売は同じ年1983年7月です。そして「AKIRA」の1巻は1984年9月14日です。おれは15歳でした。そりゃあ影響を受けるなってのが無理でしょうや。いまでも買った場所もシチュエーションもわかりますよ。富山市を代表する書店清明堂ですよ。当時はマンガ売り場がビルの5Fにありました。ガタゴトいって昇るエレベータの5Fの扉が開いた眼の前に童夢が平積みになっていた。たぶん発売日に買ってます。たぶん、並べ立て(開店直後)にみつけてます。みつけたとき「あっ」って声が出たのも覚えてます。

なぜ「あっ」って声が出たのかというと、やっと大友克洋らしいすごいのが出たからです。それまでに発売されていた氏の作品は短編集ばかりだからで話題ばかり先行し漏れ聞こえてきていました。

「すごいSF作品がある」「まだ発売されていない」「幻の未完作品もある」なんて雑誌のコラムにあって期待してたんですよね。それが「童夢」であり「FireBall」だったりするのです。それが出たんですよね。なんていうかな、底をしることのできなかった「大友克洋」のほんのちょっとしたものですが一端が垣間見ることができたというか。

そんな大昔のマンガ、ヤングの君等がいま読む価値あるのか?と思いそうですが、それは実のところこちらも判断つきかねます。それこそSWITCHのネット会員だったら遊ぶことができるファミコンのおまけゲームを遊んでどう思うか?ってことでなんとなく判断できそうな気がしないでもないが、実際問題、この作品から時代は変わりました。比喩表現とかではなくて文字通りの意味です。
1980年から連載されて、世界中のすべての流れ(とくにエンタメ)にあった変革とがっちりシンクロしてすべてが変わるなかのマンガの代表作がこれです。はじまりでありながらとどめの一撃でした。そう、ニューウェーブがはじまります。
すべてのマンガが変わっていきます。古い70年代を丁寧に殲滅していきます。彼らの死体は90年代中盤くらいに発掘されるまで強制コールドスリープにつきます。引導を渡したのです。

藤子不二雄A氏の「まんが道」。バスで移動しているときに前の少年がみていた手塚治虫氏の「新宝島」。このマンガがとっても「映画」だったことに両氏がインパクトを受けてなおかつマンガに描きはじめる展開になります。
本作「童夢」も衝撃の方向としてはそれですね。より映画になっていきました。

あらすじ書いてなかったですね。
郊外のマンモス団地が舞台。住人の不審死が相次いでいる。目的や意味がわからないままどんどん死んでいく。そこで刑事が乗り込んで調査を開始するが刑事も事件に巻き込まれ死んでしまう。

圧倒的画力。緻密描画、ページコストがものすげえ高そうなもの。それを「映画的な視覚効果」のために惜しげもなく使う。

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オープニング。男が団地の屋上から飛び降りるシーンを見開きの団地の空撮で表現してます。現在はドローンなどで再現できたでしょうが、これ当時、実写で撮るとなるとかなり大変なことになったでしょうね。そしてもちろんマンガでも。見開きいっぱいの団地の俯瞰に吹き出しの「どさ」って死体が落ちるシーン。この吹き出し効果は今後大量にパクられてスタンダードな手法になりますが、見開きの団地はちょっとできないんですよね。実にそういうところが大友克洋で童夢なのです。

ただ現在はPC技術の発展により「圧倒的?精緻?そうでもないな」と思ったのが最初。そりゃあ当時はすごかったプレイステーションの画像も5と比べたらねえってことと同じやで。

だがそう思った次の瞬間。この線の1本1本が人の手によって描かれてると思い愕然とする。背景を描いていたのはほぼ高寺彰彦氏だそうですが。

あしたのジョーに憧れて(3)<完> 川 三番地 (講談社 KCデラックス 月刊少年マガジン): ポトチャリコミック
川 三番地氏の「あしたのジョーに憧れて」という作品はちばてつや氏のマンガアシスタントをしてたときの背景技術描画技術について描かれたエッセイコミックですが同様のロストテクノロジーではあります。このマンガで描かれたあらゆる技法は今となってはかなり失われたものです。そういうことをして再現する意味がないですからね。高寺氏は他界されているし。

当時は圧倒的な背景に気を取られがちでしたが、いまやPCからの写真取り込みのあーでこーでのおかげでインパクトはかなり薄まっております。
ただ夜のマンモス団地の「空気」はなにより描かれております。というか、「事件」はおもに夜に起こる。そのときに急に背景の団地がジャストピントになって冷ややかなぼんやりとしたライティングに不気味に映える団地。
この「背景」としての団地と、恐怖の舞台として小道具としての団地になるときの雰囲気を描きわけることができるのは人力ならではと思いますね。リアルならいいってもんじゃないんですよね。

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団地にはボーダイなひとが住んでおり、寝ている。ホラー映画の定石で人気のないところというものから考えると千の数の人間が住んでいそうな団地が怖いマンガの舞台になるということはいかに画期的だったのか。それなのにいやに閉鎖的なんですよね。どこにでも通じているのに出られない感じがする。それも「描き方」次第ではあるんだけどね。
あと登場人物に無駄な情報が一切ない。主人公は悦子って名前以外名字すら無い。昨今の人気投票はじめるから生年月日まで決めておくとかはまったくない。
主人公悦子は、石ノ森章太郎氏の「さるとびエッちゃん」からきているらしい。前々からインタビュー等で語っておられたらしいがおれは本作のあとがきではじめて知った。
これでかなり腑に落ちたことがある。
本作はぶっちゃけると少女と老人が団地を舞台に行うサイキックバトルマンガです。ふたりともありとあらゆる超能力を本作で炸裂させて戦ってます。
悦子も敵であるチョウさんも能力者です。本編には「それ」に対する表記すらありません。だけどお互いに敵であることはわかる状態。
それでいてありとあらゆる超能力を使うことができます。ここが驚き。超能力というと、「ひとり1能力」って暗黙の了解がある。たとえばテレパシー能力のひとはそれだけとか。でも、童夢の能力者はあらゆる能力をかなり高度に使うことができる。

読んだ「当時」はそれに違和感があったけど、なるほど「さるとびエッちゃん」と聞くとガテンがいく。さるとびエッちゃんはいわゆる不思議少女が不思議な力を使うというマンガだ。別に事件を解決したりみんなを助けるわけでもない。きまぐれに不思議な能力を使う。そしてあらゆる能力がある。それは「エスパー」とか「超能力」という名前がついているわけではない。「不思議なチカラ」である。忍術でも魔法でもいいやつ。魔法が近いですか。魔法少女。魔法少女も後々には能力制限期がきますよね。ベタなところだと「おジャ魔女どれみ」あたりは。できることできないことがかなり明確にあったし限定されてましたよね。
「魔法少女まどかマギカ」あたりになるとまたざっくりといろいろなことができるようになりますが。

「童夢」のチョウさんはその能力を私利私欲で使っていて、悦子が正義の能力者かというとそうではないことが本作の実に1番恐ろしいところです。
定型的ではありますが、「サルでも描けるまんが教室」で言語化された超能力少女が能力を暴走させてしまう「イヤボン」現象が本作でも見受けられる。悦子は本作で人を殺してるし躊躇がない。もちろん感情が高ぶっているというエクスキューズはあるとしてもその後なんのペナルティもない。仮になにかあったとしてもテレポートが使えるので関係がないんだが。

悦子は正義でチョウさんを殺した。ただしそれはかなり薄っぺらいものであって、それが絶対的な正しさや考えられたものではなく、クラスの男子が悪ノリしているのを諌めるってレベルの正義なんだよね。それはいつもみているTVアニメやマンガで得られる程度の。親にしつけられた程度の。
ラストも、単純に友達を殺されたのと怖い目に遭わされた報復しとしてチョウさんに仕返しをした。複雑な感情の交錯した果てともいえるけど。

チョウさんもそもそも悪意がない。単純に悦子のほうが強いので怖がってたけどみなくなったから大丈夫と安心していた。この「ケンカ」は済んだと思っていたからこその今回表紙にもなった見開きの恐怖顔なんだよね。
このふたりは「子供」の思考で超能力バトルをして多数の死傷者を出している。その悦子がふっと姿を消してしまうというラストも考えるとしみじみ怖い。この先も、彼女は彼女の価値観と気持ちの赴くままにいろいろする可能性はある。

あるいは可能性としてチョウさんはアルツハイマーになり赤ちゃん返りしたことで能力が発動した。つまり、悦子は大人になることで能力が封印される可能性もある。
そこらへんははっきりさせないしさせる必要がない。そう、本作が1番いいのは語りすぎてないことだよね。ストーリーの全容がわかるひとはもはやいないし、起こったことをそのまま描いただけで物語ははじまり終わる。

今回あとがきを読むと、意味ありげに登場したわりにあまり活躍しなかった団地の変人らにはそれぞれ仲間になって団結して戦うなんて構想もあったそうですが、そこらへんはカットしたほうが「残った」とは思う。

で、タイトルの答え合わせであり、結論は、マンガは適度に終わらせることが大事ってことですよ。本作は語りすぎず、描きすぎたために永遠のマスターピースとなり、それはマンガ全体を変え、ここで培われたものは「AKIRA」へとつながっていったりもするわけです。

参考リンク:
聖地巡礼 「童夢・川口芝園団地」: 海cafe2 https://umi-cafe2.at.webry.info/202201/article_22.html
大友克洋の『童夢』のモデルになった団地は今・・・ 『芝園団地に住んでいます』 | BOOKウォッチ https://books.j-
cast.com/2020/10/24013264.html

(後者のリンク記事が非常に興味深し)

posted by すけきょう at 01:07| Comment(0) | コミック感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月06日

愛するなら女たちの身体がいい 〜TS3本〜

流行りのTSモノ3作品を軸に語ります。

はちゃめちゃネタバレで1本は映像作品なので折りたたみ後にそれを書きます。それまでは概要とか書きます。興味があったらどうぞ。おもしろいものばかりですよ。



異世界美少女受肉おじさんと
親友2人。女神に異世界に飛ばされてしまう。そのときにモテない男は金髪美少女になることを願う。叶う。そして呪いをかけられる。ふたりとも惹かれ合う。それを認めるとなにかが壊れると思うので必死に否定するが惹かれ合う。
現在(2022/02/05)アニメ放映中で冬のダークホースとして話題になっています。おれも1話をみてビビビときてあっという間に去年の「このマンガがすごい」のギャラである図書カードを使って既刊6巻を揃えて一気読み。
表紙からしてなんかのパロディだよね?ってのがもりだくさん。正直なところ、この分野にはあまり詳しくないのですが、そういうのがなくても笑って楽しむことのできるほがらかTSラブコメって感じで。



VRおじさんの初恋
サービス終了が告げられているVR世界。JKのアバターの主人公ナオキ(中は独身彼女いない歴年齢のおじさん)は痴女のようなセクシーな女性ホナミと出会う。もう終わる世界をいっしょにめぐっているうちに互いに惹かれ合う。ところがホナミが急に回線から落ち連絡がとれない。忘れられないナオキはハッキングをしてホナミのデータを読み取り会いに行く。

Twitterで話題になったマンガです。その後の話も含めての単行本化しました。そこも含めて泣けたね。


『ブラック・ミラー- ストライキング・バイパーズ』予告編 - 動画 Dailymotion https://www.dailymotion.com/video/x790t1d
ネットフリックス専用の配信ドラマシリーズです。イギリス制作の「ブラックミラー」という「世にも奇妙な物語」「トワライライトゾーン」みたいな1話完結のシリーズです。特徴は近未来が舞台ってことですね。
親友2人。格ゲーを何時間でも遊び合う関係。時が経ちお互いに家庭ができなかなかVRの格ゲーでネットで遊ぶことにする。そこでヴァーチャルセックスをはじめる。これがとてもよくて離れられなくなる。妻子がいるので罪悪感を持つ。でもやめられない。

これらに共通しているものとはなにかと。折りたたみます。以下はバリバリネタバレなのでできれば読んでくださいよ。



追記あり
posted by すけきょう at 00:31| Comment(0) | コミック感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする