・こう書くと、「ハイハイわかってますよ。わたしもそうですよウシシ」と気をまわしてくる親切な方があらわれそうだ。
・でもちがうんですよ。
・おれは「苺ましまろ」をロリコンマンガとしては評価しない。萌えマンガとしてもあまり評価しない。
・絵師として、少女を描くという点において、相当なレベルの作者にそういうことを書くのはちょっと勇気がいりますが、絵としてじゃなく、「マンガ」と考えるなら、いろいろな点で「そういう」方向での評価は低いんじゃないかなと考えているのです。
・すごくカンタンに書くなら、「萌えない分、ギャグがおもしろいからね」ってことです。
(この場合、成年コミックをまぜていくと、ちょいと話がボヤけるので、比較の対象を萌えマンガに限定させてもらって以降の話を進行します)
・本作、基本的に、小学生女子4人にその中の1人のお姉ちゃん(高校生)がメインの登場人物であるギャグマンガです。
・だいたいが室内で話が展開します。ツインテールのおちゃらけ娘がまわりをひっかきまわすという図式。お隣さんがツッコミで、ほかの同級生はいじられ役だったり。
・話はシンプルですよ。部屋にゴキブリがあらわれて大騒ぎとか、寝ている顔にマジックでいたずらするとか。
・そこでのギャグがいいんだ。当初はシュール系をベースにした、お手本や引用元がカンタンに指摘されるようなものが多かったのですが、ここ数巻はかなりキレた、ほおと感心するギャグが多い。もちろん、正直に書くならば、相変わらずやすべったギャグも多い。また、無理に探せば相変わらず引用元は透けてみえる気がしないでもない。
・そしてそこなんですよ最大のポイントは!
・つまり、萌える間もなく全編ギャグを詰め込んであるのが本作を「萌えマンガ」としてみることができない最大の理由です。
・おれ内での超結論として、萌えマンガは中身がスカスカです。これは別にけなし一辺倒ではありません。
「萌えマンガ」の最大の目的は、作品ににじみ出ている「萌え」を愛でることで、それにジャマな要素をすべて削っていくと、スカスカになったという機能美を追求した末のカタチだと思います。それは、ぜんぜんちがう動物なのに、サメとイルカが流線型になったのと同じで、エロマンガも4コママンガも、「萌え」化を優先させて進化させたために同じようなスカスカ度合いになったのです。「起承転萌」です。
・そういった事情と「苺ましまろ」は少々離れております。
・1巻巻末のおまけマンガにいみじくも作者が「少女が描ければなんでもいい」とおっしゃってたとおり、少女は命削りながらスゴイのを描いておられます。
・が、同時に少女を「生かそう」とするあまり、ほかの描写もスゴイことになっているのです。
・人物はほぼ少女5人ですが、背景の書き込みが異常。よく「よつばと!」の背景がすごいなんてネタが定期的にネット上にあがりますが、それを超えています。まあ、「写実」という点では。
・だから、彼女らは外出しないのかと思えるくらい精緻です。毎回あのクオリティで「外」を描いてられないだろうしね。実際、たまにある外の描画がまたスゴイです。もちろん、室内もすごいです。
・まあ、精緻ならいいのか?ってことではあるんですが、作者が精緻にする意図を考えるに、「彼女らを生かそう」という情熱からじゃないかなと考えるならそれは素直にスゴイと思うべきでしょうよ。
「浜松(舞台です)のどこかに5人が住んでいる」ということを「事実」にしようとする執念にも似たような情熱があふれてます。
・本作はそのように、生み出された少女になにをさせよう?と、試行錯誤の末に至ったのがギャグマンガというのが、最大のギャグになるわけです。
・また、そこで培った写実というのがギャグに結びついているところもなかなかに画期的なところです。
・たとえば、前記のゴキブリが部屋にあらわれる話に、「ゴキブリをおびきよせよう」ということで、メスゴキブリにみえるかも?ってメスゴリラのフィギュアを置くというシーンがあります。これなんかは、この絵だから成立するギャグの最たるものでしょう。
・こういう無機質をオチとするネタが多いのは本作の特徴かもしれません。
・そして、そういうマンガは他に類をみなかったりします。そこがおもしろい。
・まあ、ここまで書いたことをひっくり返しますが、6巻で、美羽とちぃちゃんの抱擁シーン(もちろんギャグ)はちょっと萌えましたね。
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