![]() | 友木 一良¥ 560 ![]() |
おれの偏ったTwitterのTLでよく名前をみかけていた。
それでだいたい内容はわかっていたつもりだったし、実際にそう大きくちがうことはなかった。
だが、なにかがちがう。
それこそ、1話目1コマ「おかしい…これはおかしい…」という主人公のモノローグのまんまだ。
本作は、エロバカギャグになるのだろうか。
ラーメングルメの主人公がふと入ったひなびたラーメン屋。給仕の女の子が裸エプロンでいる。
餃子をもってきた「お姉ちゃん」も裸エプロン。なおかつ巨乳なのでおっぱいがこぼれでる。
そうこうしてるうちに勃起した主人公を2人がさすってズボンごしに発射させる。
そういう感じで毎回進行していく。
おかしいと思った最初の部分はエロのサジ加減。
エロコメ&エロバカは、少年誌青年誌成年誌ではたいてい枠が用意されているはず(最近雑誌を読んでないからなんともいえない)。
そういう長い伝統で培った「おもしろくなる」セオリーがあるし、各マンガにおける「段階」「ライン」というものもある。本作、それがちょっとおかしい。
まず、ポイントは乳首を出すか否か。いっとき成年コミックから火がついて少年誌のエロが異様に規制されていたとき、乳首は少年誌からけっこう消え去ってきた。いまや少年誌のエロコメに乳首がみえることがニュースサイトに記事として取り上げられるくらい。
本書は全員出す。乳首出さない要員ってのあるんだけどここでは女性は全員出す。たとえば、「らんま1/2」においては、女らんまと天堂あかねは裸になってますが、姉妹のほうは出さないとか。
基本、ヒロインはもったいつけて出さないってパターンが多いでしょうかね。ギリギリまでみせるけどなんとかセーフとかそういうパターン。いわゆる「じらし」のテクニックですね。
本作は2話目で主人公に大きくするために直に揉んでもらってます。しかも、乳首いじられて濡れてます(本人は変なところから汗が出るといってます)。
次に主人公が射精するかどうかってのも大きい。「月刊少年マガジン」でいっときマンガのエロ規制でやりだまにあがった「いけないルナ先生」はそうとうなことをしていたけど、主人公のエロガキは射精することはなかった。
「お色気描写」と「エロ描写」「セックス描写」のラインはけっこう重要。そこいらも本書はけっこうイビツというか、これまでに読んだことないライン。
裸になるけどさわらないさわらせない、前記の射精するしないなどの絶頂描写など。ここいらのサジ加減というか生殺し感で引っ張っていくのが基本と思うんですよね。
それでいて、「チャーシューの気持ちになれ」って姉にしばられたのを風呂に入れて「温めて」から「食べてください」っていわれるエピソードがあります。
その後の「大事」な描写をなんか省略気味にするのってどうよ? できあがったチャーシューのヒロインさんのあちこちを甘噛みするってシーンを雑に流してるんだよな。
そこで冒頭のセリフ引用に舞い戻るわけです「おかしい…これはおかしい…」と。
全体の描写、セリフ回しも、一見雑にみえる。
トーン処理や背景などはとても丁寧なのに、しばしば人物がぞんざいだったり、モノとの対比がメタクタだったりするし、かと思ったらデッサンとしてそうとう正確だったりする。「9杯目」の自転車に乗るシーンなんかすごいですよ。毎コマ、自転車とヒロイン、そして主人公との対比がちがう。「自転車に乗る」ってのは屈指の難しい描写らしいですからね。
そしてこれらに対する二重三重の意味での「おかしさ」の答えは親切なことに本書の最後に書き記してある。
「イカン! あまり深く考えるんじゃない……感じろッ…感じるんだッ!!」と。
そう、本書からはなにかマンガ生来が持っている自由さを感じる。感じるというか思い出させられる。
「白い紙にコマをわって絵をいれたらそれはマンガ」とは稚野鳥子氏の名言(これもTwitterで知ったんですが)でありますが、いろいろなところからの制約、お約束、シバリを感じさせない、のびのびとしたものがあるんですよね。その居心地のよさ。これがなつかしい気がする。
たとえば、実験しまくっていた赤塚不二夫氏をはじめとする70年代のギャグマンガ。「ノルマ」さえ描けばあとなにを描いてもよかった80年代のエロマンガ。90年代にさしかかるころのシュールと称された4コママンガ。
もちろん、このマンガなりの掟やラインみたいなものはあるけど、それに強いこだわりを感じない。登場キャラにやりたいようにさせてる感じもある。
水島新司氏の名言、「岩鬼がいうこときいてくれない(でホームランを打ってしまった)」ってね。
マンガはどんどん進化し洗練されていった。それは「いいこと」ではあります。しかし、その反面「悪いこと」として切り捨てられたところにも「甘いところ」は残っているのです。そこをなくしていいのか?などと考えさせられるのです。
感性一発で「エロくてバカでいいでしょ?」と提示する本作はいろいろなものから解放されている。その自由さが逆に今「おかしい」と思うわけなんですね。そして「新鮮」と思うのです。
ただ、それは1巻の奇跡というものでもあるんだろうなと。
ファーストアルバムこそがアーティストの原点であり至高なんてよくいいます。というか、そのコンセプトでアルバムシリーズだしてるレコード会社もありますし。
作者の様々なスキルの上達、そして読者の新鮮フィーが消え去ることで、2巻以降はこの自由さは相当なイキオイで損なわれるんだろうなと。これはもう宿命でありだれにも抗えないところではあります。本作も残念ながら2巻以降はそうなりそうです。
しかしながら、「絶品!らーめん娘」の1巻で感じた「自由」は忘れないでおこうと、以上の文章をしたためたワケです。