![]() | 花沢 健吾¥ 590 ![]() |
東京にゾンビが出たぞ、ワーオ!そりゃ大変だマンガの9巻目です。
実際のところ1巻のあらすじも9巻もほぼそれです。
ほとんどなにもわからないゾンビがいる世界に放り出された状態で主人公たち、そして「別の」人たちが右往左往しております。
そう、9巻では「台湾・アジア編」が挿入されております。
エリートマンガ編集部員と売れないマンガ家が「取材旅行」と称しての不倫旅行をしております。そこでワーオ!が起こるんですね。
「物語」ということを考えました。
終わってから振り返ってみると物語は1本の線のようなものだと思います。
GPS装着で移動したルートをあとでみるように、紆余曲折などいろいろありますが、結局のところ1本の線としてたどることができます。
そしてだいたいにおいて主人公がその線をひいてます。
線をひくということはどういうことかというと物語に「最後」までいるということです。主人公のおもな役割はそれです。
「鈴木。この先どーっすっかあんたが決めてくれ。
今のところあんたと一緒にいるのが一番安全そうだから、
あたしはあんたの考えにあわせる」
本作の主人公鈴木英雄と同行している女性のセリフですがつまりそういうことなんですよね。
ただまあいっしょにいると「安全」ではあるけど、物語を盛り上げるなどの理由で殺されたりする危険も高まるばかりなので、物語と関係ないところで解放されるのも重要でしょうね。
とくにこの物語は、鈴木と行動を別にするヒト(することになったヒト)、そして、「いっしょにいない」ヒトは基本的に死んでいきます。じゃない場合は生死不明か。
「そういう」物語ですから。
「スーパーマリオブラザーズ」というゲームをご存じでしょうか。
クッパ大王がピーチ姫を拉致監禁します。それをみて配管工のマリオが奪還を目指すという「物語」です。
クッパ大王のお城までは敵やさまざまなワナが待ちかまえているのです。
「物語」ならば、マリオは主人公だから1−1から8−4の最終ステージまで1回も死んでないということになるのです。命は基本的にひとつですし。
ただ、スーパーマリオブラザーズはゲームなのです。それはどういうことになるかというと、ピーチ姫のもとにたどり着く前に罠や敵になぶり殺しにされたマリオの死体が膨大に存在するわけですね。つまり「物語」の遂行に失敗したなれの果てです。
ゲームとは物語を遂行するために試行錯誤し切磋琢磨するものという定義もできます。
安全地帯無き場所では、誰もが主人公となる
9巻の帯裏にあるコピーです。
「アイアムアヒーロー」において主人公鈴木英雄は生き残ってます。
ヒーローになるんだとの漠とした思い。たまたま持っていた散弾銃。物語のキーを握っているかもしれないヒロミちゃんとかのポイントはありますが、どこで死んでてもおかしくないんですよね。
主人公だけに危機百連発ですけど、そのたびの優柔不断だったり「いのちだいじに」にもほどがあるだろうという感じですが切り抜けてます。
なぜ死なないのは主人公で作者が生かしてるからという元も子もない理由はあるのですがつまりは、「そういうこと」になるわけです。
逆にゲームだったら鈴木の死体は山のようになっていたでしょう。
となると、主人公がほかの人の「物語」だったらどうかな?と。ま、それに対する答えは9巻にあります。すべてではないと思いますけど。例として提示されたのが「台湾アジア編」とはいえます。
そう考えるとタイトルが非常に興味深いんですよね。
アイアム「ア」ヒーロー
アなんですよね。単数を表すAです。
彼のみがヒーローたる物語なのか、彼のみが生き残るのか。あるいは?とどのような意味の「ア」だろうかと。
そして、そう感じざるを得ない絶望的で現実的で写実的な背景が恐怖に格段と説得力をかもしてますね。
Twitterでベテランマンガ家さんが本作を名指しで「こんなのはマンガの背景ではない」という批判をされてました。
実写背景を取り込んでCG処理したのをさしてと思われます。
限りなく「そこ」がどこか特定できるようなくらいのもの。
つまりは、そこにいかないと描けないなんて状態になっています。1枚の風景にも複数の資料写真が必要なような。
そう考えると、本編、とくに9巻の「台湾アジア編」はちがった味わいが生まれますよね。
取材旅行としてデジカメに写真を撮りまくる編集員は、花沢氏自身、あるいは同行した編集にもなるわけでね。
もしかして、本当に花沢氏の担当が不倫旅行にいったときの写真をデータに使ってる?とか穿ったりな。もしくは、そういう「てい」で担当編集をモデルにしてたりとかな。
「物語」本編とははずれたところの、「もしゾンビが日本中にいたら」って目線での取材や視点で「実際」に旅するのは絶対におもしろいですよね。それをマンガ化するのはまた全然別と考えてし。
そして、取材をもとに冷静に展開したら絶望的なことになったんだなと思ったりします。ときおり熱いですけど基本は淡々と展開していきます。この淡々がコワいなと。
んまあ、ゾンビウイルスが蔓延してなくてよかったなと。
そして9巻オビのピース又吉氏のコメントのように臆病な英雄を見守ろうと思うのです。
個人的な話。
「台湾・アジア編」がねちょっときたのよ。なぜか?ってえと、開始2ページ目の見開きのコンビニがある雑居ビルの背景描写。
おれ、まちがいなくここを歩いてる!って思った。まちがいなく台北、そして、ひょっとしたらホテルもいっしょか?と思ったりも。
おれの推論に間違いがなければあそこらはそういう繁華街というか高級ホテルが立ち並ぶ随一のところです。六本木とかそういう感じ?
だけど、雑居ビル下のアーケードが非常に暗くて怖かったです。22時くらいでしたか。
その記憶がサーって蘇り、なおかつ、「そこ」を使用されたのがすごくうれしいんですよね。
本当、ただ、灯りがないから暗いというより、「なにか」が暗くしてるのではないか?なんて思えるところで、いろいろとビジュアルの記憶が多い台湾旅行でしたがこれが1番でしたね。それがあった。
写実的風景はそういう思いも寄らぬセンスを喚起させるところもあるなと思ったのです。
9巻後編のいかにも山道にあるお土産物屋での攻防。
地元産の置き野菜とか、漬け物を売ってるタルの写実にゾクリとするんですよね。それはむしろ見開きで富士山をバックに立ってる英雄よりよほど。
あとアイアムアヒーローの担当編集は女性。
一人称だからアですね。
あと、担当編集が女性というのは
知りませんでした。
情報ありがとうございます。