2014年09月11日

相原コージの三丁目の夕日〜Z

Z~ゼット~ (2) (ニチブンコミックス)
相原 コージ
日本文芸社 (2014-07-19)


・サブタイトルがすべてなんですが。
・相原コージ氏によるゾンビマンガ。
・オムニバスで1話読み切り(たまに連作)で、ゾンビのいる世界を描いております。その2巻目です。
・西岸良平氏の「三丁目の夕日」は高度経済成長期の昭和30年代に住まう人々のオムニバス。
・三丁目の夕日における鈴木オート的な、3人のJKという存在もありますが、基本は名もない人々を描いております。
・双方つまりはその世界の「歳時記」なんですよね。かたや昭和の佳き日の思い出、かたやゾンビのいる崩壊した世界。
・どんな世の中でも人々の生活はあるし、欲望や葛藤や思惑が交錯する。
・そして人々の思いを知ったことかと季節はめぐる。
・そう思ったのは、2巻の描き下ろしであろう、井戸の中に落ちたゾンビ2人が来る日も来る日も井戸の中をぐるぐると歩きまわってるって8コママンガがあったからですよ。
・意外と思うけど、つらつら考えるとゾンビの多くは人を襲ったことがないんだよな。ゾンビ同士は咬み合わないし。
・それこそ井戸に落ちたゾンビは狭い井戸を歩き続けるほかない。死なないし、永遠に。

「Z」において、ゾンビの存在は「ダウト」であり、かまれたら100%アウト。死んだらもれなくゾンビになる。そして頭を破壊されても動く。しかも即効。なおかつ永続的。
・という、弱点がない厳密なルールであります。ゲームでもちょいちょいと不死の存在が登場しますがそれといっしょです。つまり対処するには逃げるしかない。
・それでいて人間以外にも感染する。犬や虫も。
・つまり、もう終わるしかないんですよね。
・そうかそれって放射能汚染と同じなのか。そういう見方もありますね。

・オムニバスは時系列シャッフルで話が進行しており、発生初期、中期、後期となっております。この場合の「後期」ってどういうことだ?と思ったりもしますが、本作においては、ゾンビの世界で人類側が一定の秩序を保ってる状態だったりします。復興してるんですね。
・2巻での後期は、ゾンビがうようよする危険区域に入っては素手でゾンビを倒す最強を目指す男の話だったり、父親が突然死したあとの葬儀の模様(ゾンビ化するために棺をネジ止めしたりする)でした。一応、人々は普通の生活を送ることができております。
・じゃあ、中期と後期になにがあったんだろう?その謎も解かれるのかもしれません。それには中期で活躍しているJK3人組が関係するのかもしれません。
・んまあ、個人的には謎解きはほしいですが、派手な展開は別のマンガにまかせればいいような気はします。

「もののあはれ」ですか。それを感じます。それがキモと思います。極限化においても人間は人間たると。
・すなわち、ゾンビにかまれ人間でいられる時期もわずかという極限化において「もうゾンビになるんだから最後におっぱいもみたい」とかな。
・ゾンビモノの根底に漂うマヌケさがよく描けてます。よろよろ歩くおじいちゃんみたいなものに食べられるってのはコワイけど視点を変えるとマヌケな状態。そしてマヌケによって世界は終わろうとしてます。文化祭最終日の夕方のよう。妙に静かな教室に夕日が差し込んでくる感じ。
「Z」の世界は夕暮れが似合います。 

・で、いっそ、「Z」は三丁目の夕日くらいロングセラーになればいいと思います。映画化のほうはすでに実現されておりますけどね。


















































































[絶版マンガ図書館 | 文化人類ぎゃぐ]


ボーナストラック。
「Z」は「三丁目の夕日」であると同時に、1986年刊行の相原コージ2冊目の単行本「文化人類ぎゃぐ」でもあるなと。

[【画像】女とホテルでHするってつまりこういうことだろ?【漫画】 : ダメージ0]

・この記事のおかげと、ちょうどタイミングよく、店に並べていたのを卸したので読みなおしてました。
・現在は上記リンク「絶版マンガ図書館」のところで無料で読むことができます。

「文化人類ぎゃぐ」は青年相原コージ氏がビジネスホテルのベッドメイクのバイトをしつつ東京でひとり暮らししながら描いておられるその時点での「ありったけ」のマンガだなと思います。
・各お題に対して、出せるだけのネタを出してギュウギュウに圧縮されている、スキあらば笑わせようという情熱がコマのあちこちからあふれている「青春」を感じさせる好著と思います。
・と、それは「今」の感想です。1986年当時から長い間ずっとひっかかっていたことがあります。

「文化人類ぎゃぐ」は当時からフォーマットがかたまり流行っていた「あるある」ネタがベースになっております。ところが当時も今も「それはあるあるか?」ってネタが多いんだよな。

・たとえば銭湯のネタ。ネタで使っている、鏡のない席とか鏡の下に空間があるなんて銭湯はおれはみたことがない。たぶん北海道から上京してきて銭湯通いは初めてだろう相原氏とちがい、おれは生まれたとき家風呂がなくて小学生まで銭湯通い。その後も富山県のみならずあちこちの銭湯にいってるとは思うんだけど、相原氏の描画されてる銭湯はみたことがない。
・あと銭湯イライラネタ、おもしろネタもピンとこない。
・そう、この「あるある」ネタはあんまりあるあるじゃないんだよな。

・相原氏の諸作品はその後も延々と読ませていただいてますが、ときおり、この最大公約数を描くのがセオリーってところで独自の描写をされて「ん?」って感じになるところが多い気がします。

・印象に残っているのは、「ロッキンオン」で1コママンガ風イラスト描いていたときに、「泣ける曲」かなんかのお題のときにアンジーを大プッシュされていたことで、「(ここで)アンジーか?」と非常に当惑したことを覚えてます。
・いや、アンジー知らないけど、そこはアンジーじゃないんじゃない?って強烈に思ったのを今でも覚えてますし、なんとなればそれでずーっとアンジーが気になり続けてます。それは実は今でも。
・流行語でいうところのKYな感じ。その文脈や流れで「それ」か?っていうものをすっと提出される感じ。
・相原コージ的違和感とでもいいましょうか。
・当時はダサいとかなぜ?とは思っていましたけど、今は、このズレこそが強力な武器であるし、「相原コージ」の根幹だし、マンガ家としてのキモなのかなと思いました。
・なぜなら何十年経った今も覚えてるんだもん。それは強力な武器だと思いますよ。
・上記のまとめサイトにしても「なんで今さらこれを取り上げる?」って感じがするしね。あれは当時でもそういう違和感があったような気がしますよ。連載誌掲載時も単行本ででも。

・とくに時間的な意味でのなぜ?が多い気がするんですよね。

「ぼのぼの」がはじまった直後に「かってにシロクマ」を連載しはじめたり、「サルまん」で忍者マンガはエスパーマンガにシフトチェンジしたってネタをやったあとそのマンガの連載終了後に「ムジナ」という忍者マンガをはじめたり。
・そのおもしろさに関しては問題や異論はないんですがタイミングに「なぜ?」とは思うんですよね。

・実に「Z」もそうなんですよね。

・でも、相原コージ氏にはあまり関係がないんですよね。基本、「描きたいから描く」って意志がものすごく強いお方のようです。

[痩せゆく男/リチャード・バックマン(スティーヴン・キング) - 機械]


・スティーブン・キング氏が別名で「痩せゆく男」という小説を発表しました。
・ジプシーを轢き殺した太った弁護士が呪いにあってどんどんと痩せていくという小説です。
・弁護士は死の恐怖に耐え切れずに、普段は距離をおいている知り合いの裏稼業にくわしい人と連絡を取ります。
・この人、切った張ったのきわめて現実的な殺伐とした世界に住んでおり、そういうオカルトめいたことを信じないのかと思って危惧しておりましたが、話すだけ話したら「よし信じよう」となる。
・主人公は感謝しつつもこんな馬鹿げたことをなぜ信じるのか?と問うと、どんな馬鹿げたことでもおれは自分の目の前で起こったことはそれを現実と認めると。
・あんまりほかのところは覚えてないのですがそこが異様に印象に残っております。
・男はそのあととっても現実的なことをするのですよ。

・相原氏はかなりこの男の人と似ていらっしゃるのではないかと。それはこのあとの作品でもそうですが、自分がそうと思ったことをグイグイと「これが正解だ」と描いてらっしゃるところがとくに。
・今になるとよくわかるのですが「文化人類ぎゃぐ」の上記でも引き合いにだした銭湯の回の描写。異様に凝ってます。描きこみもスゴイですし。だからずっと記憶に残っていたのですし。
・それは「Z」においてもそうかと。10年後にふと、井戸の中を徘徊し続けている2人のゾンビを思い出したりするんだろうなあと。

・ディティールの人、誠意の人、そして「正解」の人と思うのです。
posted by すけきょう at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | コミック感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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