完結してしまった。説明不足だなとか物足りなさを感じたのだけど、不条理の塊でしかない1巻に合理的な説明をしたところでたいしたことにならないのでそれは最初からのことだったんだろうなあ。
ふと調べたら古谷実氏はおれとたいして年齢が変わらない(年下だけど)。それで思った仮説がやや実証されたので書いてみる。
古谷実氏は自身の実年齢よりちょっと下の年齢のキャラを主人公に据える。そしてちょっと前のそのころに思っていたこと感じていたことを主人公に代弁させたりシンクロさせる。それは多分、稲中から徐々に主人公の年齢が上がっていくのをみるとそうだなと推測できる。
「ゲレクシス」の主人公は40歳。
これまでの話、ヒミズ以降かな、それらにある冴えない平凡な主人公が美女に好かれるってパターンを破るところが1巻の山場。今回それどころじゃなくなるから。それを上回る不条理展開が起こるから。
そしてその着地点に用意したのは「友情」だったんだよね。もともとはすごく気になる美女がいることや、24歳でなんでもいいあえるそこそこの女性従業員がいたりとかそういう方向にいく雰囲気はあったけど、結局のところ、彼は友情をとったというのがネタバレゴメンですがこのマンガのテーマだったのです。
それが稲中だったり僕といっしょだったりの原点に戻ったのか、それとも、主人公にははじめてだったからなのか、それともこの年齢になると女より友情のほうが尊いと作者の想いをシンクロさせたのかはわかりませんが、女よりトモダチをとるって選択した40歳に異様なインパクトを感じたんですよ。
なぜなら、かなりシンパシーと感動をもたらされているからです。おっさんの鼻水と涙まみれで少ない髪の毛を振り乱して叫んでる様に涙が出てきてます。ギャグとしてもとれるシーンなのに。
そう思ってから読み返すとそのテーマを描くために必要なことは全部描かれているんだよね。だからおそらく当初の予定通り描ききったんじゃないかなと。
だって、まんまと満足して感動してるし。
そして次作へと期待は向けられるワケよ。おれの上記の説が正しいのなら、古谷作品は、たとえば、桜玉吉氏の等身大のエッセイコミックと同様のモノがあるわけで、それでいうなら次はどの「一手」になるのかなと。