完結しました。ちょっとネタバレありで書きたいので、そういうのお嫌いな方は読んでから出直せなさい。
amazonのレビューがスゴイことになっております。現在(2017年03月31日 17時07分まで)酷評の嵐。投げっぱなしだったなどと。
でも、果たしてそうなんだろうかなあ。
たしかに、複雑に、ワールドワイドに展開していったけど、結局のところ、そういうのは関係なく小競り合いしていたチームの内輪もめが終わって、鈴木英雄周辺のドタバタもなんかよくわからんうちに有耶無耶に終了したと。で、ワールドワイドに展開してたその後はどうなってたか知らないと。あとZQNとはなんだったのかもあの怪物みたいのもわからないと。そりゃあただの一個人にはわかるわけ無いわよねと。
そこいらの無責任さを弾劾してる感じのamazon酷評ですが、最終巻の最後はどう考えても当初からの構想で、それはなぜかというと、ちゃんとロケハンしないと描くことのできないところを書いてますよね。人もZQNもいない池袋に鈴木英雄ひとりで暮らしている。友達は「とびだしぼうや」と銅像。
非常に作者らしくもあり、彼らしくもある終わり方だと思う。結局のところ、彼はヒーローになれたのかどうかわからない。でも、関わった人は全員おかしなことになった。そう1巻からの因縁がある中田コロリにも1発くれてやってるからね。しかも「なんとなく」で。
これさ、もしかして本編は本編でありつつ「スピンオフ」だったんじゃないか?って思ったのよ。
[アイアムアヒーロー in NAGASAKI 花沢 健吾 (小学館 ビッグコミックススペシャル: ポトチャリコミック]
[アイアムアヒーロー in IBARAKI 花沢 健吾 (小学館 ビッグコミックススペシャル): ポトチャリコミック]
これとあとOSAKAね。スピンオフといわれる作品ですが、もしかして本編かと思っていたこれも「in Tokyo」だったんじゃないかと。まあ、本編には台湾だのイタリアだのも内包されてましたけど。おのおのがゾンビと戦ってヒーローだって感じの落としどころで。
そして、多分に、amazon酷評組が納得できるラストって、実は、中田コロリのルートだったんじゃないか。彼を主役とすると、すごく「ヒーローモノ」にならない?中田コロリこそ真のヒーローというか、トゥルーエンドのキャラだったんじゃ?と。それはあんなにも希望に満ちたエピローグでも伺える。あと憎たらしいやつはだいたいあっさり殺してったし。
もしかして、この後に、「中田コロリ編」みたいなのがはじまったらゴメンです。ZQN発生当初からの描かれていないところでも確実にヒーローっぽいかっこいい行動をしてそうだから描き甲斐はあるよね。
だけど、作者花沢健吾氏は「ああいう人」だから鈴木英雄を追いかけることにしたと。そういった意味じゃ、「ルサンチマン」も「ボーイズ・オン・ザ・ラン」にも通じるブレのなさ。
女は裏切る。女はこわい。でもエロい。男はヘタレ。男はしょうもない。でも純情。
この法則に本作品も当てはまりましたね。
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(巨大モンスターと化したZQNの残骸を眺め)お前も変化無しか… / 何がしたかったんだよ?
…俺も同じか…
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ひとり東京で暮らしてる鈴木英雄が2011年の新年につぶやいた言葉です。
彼は1巻のときとあまり変化してません。アシスタントやってたとき独り言がうるさくてまわりのスタッフにキモがられてたときと同じで独り言を日がな一日つぶやいてます。そして「それ」をするには最適な環境の中で。
DQN騒ぎも大半の人類を殺しただけで終わった感じありです。彼はサバイバルゲーム第2章を満喫してます。それもみようによっちゃ変化はないわけです。そしてさらに考えるとZQN発生前からあまり変わってもいないわけです。
なんかそういうことを描きたかったのかなーッと思ったりもします。
ただ、問題はそれをコミック22巻、時間にして8年くらいかけてやってることね。さすがに長いよ。作者の代表作になったけどさ。
まあ、壮大なドッキリにハメられた感もあるわなあ。そういった意味も込みで花沢健吾氏らしいなあと。食えない人やなあ。
おれの望みは「21世紀少年」みたいなしょーもない続編は辞めてねってことかな。「中田コロリ編」なら読むけど。描かない気はする。
他作者による設定を利用したスピンオフは読みたい。なんならそういうの考えるの得意な人にアマゾン酷評組が納得する「ヒーロー」を描いてもらうってのも手だよね。ニーズはあるだろうし。
ま、ともかく。花沢健吾さんの次回作に期待してます。