前作「子供はわかってあげない」はとてもインパクトが有りました。その年のNo.1に選んですよ。
[決勝戦 ギガントマキア 対 子供はわかってあげない: ポトチャリコミック]
5年前ですよ。5年前のおれいい文章書くな。
そして田島列島氏は5年後の本作もとてもすばらしかったです。
おじさんのいるアパートに住まうことになった少年。駅まで迎えにきてくれたOLさん。彼女の母と少年の父はW不倫をした仲だった。
前作ゆずりのユルユルとしたキャラのやりとりでありながら重々しい内容で展開する1巻でした。
あ!かなり変速展開の「めぞん一刻」になるんかな。少年とOLさんはつきあったり恋に落ちるのか?うーむ。
そういうわかりやすく収まるところに収まることを期待するものではないような気はしますと、思いつつ、前作はすごくきれいに収まるところに収まったからなあ。
オビや他所の感想をみると、セリフのやりとりがすごいとありますが、スゴイのはそれもこれも含めて、マンガとして成立していることかと。
マンガはその絵の中にキャラが呼吸をして過ごすことができる空間であることがもっとも上等。視点を変えると、読者にとってキャラがいきいきと活躍している場がマンガの中の世界に成立しているかどうかこそが命。
たとえば本作のヒロインの得意料理ポトラッチ丼。これがすばらしい。食べたくもあるし、この料理ができる背景を考える。そしてこんな奇天烈な料理を実践するからこそ、後半にあんなことができるんだなとか。そういう積み重ねも含めての、この漫画におけるこのセリフこのキャラこのストーリーの描画がジャストってことが大事なのよ。
それに関してはやっぱり天才といっても過言ではないな。本作の描画とキャラのやりとりと話はすべてがこの絵でジャスト。
これができないプロのマンガ家もけっこういるよ。
ほしい絵に合わせると画力は変化していくんだよね。でも、逆に、この絵に合う話を作るって方向の方もいらっしゃる。どっちが正解ということはない。そして田島列島氏は後者というわけでもない。ただ、いまはジャストフィット。だからこそすべてが決まっている。