学園祭でラブコメはピークに達する説の信憑性はまたひとつ蓄積された。
17巻は学園祭編のピークであり本作のピークであり2020年のマンガのピークになった。
古見さんは眉目秀麗容姿端麗成績優秀の非の打ちどころのない美女だけど極度のコミュ症。ただし美女ゆえに成績優秀ゆえに無口な美女としてそれがいままでバレずにいた。高校の入学式に只野くんにそれを見抜かれる。「友達100人つくりたい」という彼女の野望を叶えるべくドタバタするというギャグよりのラブコメ。
2年生より、マンバギャルの万場木留美子さんが登場します。彼女も古見さん同様にゆっくりと時間をかけて只野くんにホレていきます。登場してから毎巻1回は只野くんとのラブコメパートが挿入されていきます。それでいて、古見さんと只野くんとの「それ」を万番木さんは微妙にみないでここまできました。
そして学園祭です。クラスは演劇をすることになりました。古見さんと只野くんが出る演劇です。16巻の終わりで古見さんはアドリブで只野くんに演劇上で告白します。それでついに万番木さんも知ってしまいます。そして17巻。
16巻の予告を見た限りだと、まあ、そこそこの進展はあるけどうまくスカしたりギャグったりしてまた進行していくのかなと思ったのです。なぜなら通常の風景が繰り広げられていたからです。
それがガッツリでした。ガッツリ。ここまでガッツリいくのかってくらいガッツリ。
すべて察した万番木さんがふられたと人気のない階段で泣いている。そこに尋常じゃない様子を心配して古見さんが駆けつけます。
そこからがピークですよ。17巻のピークで本作のピークで2020年の全漫画のピークです。
お互いの気持を確認してお互いの友情を確認して只野くんへの思いを確認するのですよ。
ここらへん、エモさもすごいですが、技術ということでもピークで、本作の構造というか根源のところでもピークなんですよ。ということでネタバレになるのでエモさはおいといて技術と構造について語りますわ。それこそ登場キャラのエモを探し求める江藻山ゆらぎさんのようにエモミー賞受賞としか書くことがないし。
本作、学園祭で演劇をしてます。そして、2部構成になってます。そして古見さんと万番木さんがそれぞれ主演。だから拘束時間が発生するんですよ。なおかつ只野くんも劇の上とはいえ古見さんに告白されたということでまわりの嫉妬で追いかけ回されていろいろとままならない。
これで、多元中継が生まれ、あちこちで同時に話が進行し(まだシンプルなほうだけど)、その制約のせいで新たにドラマが生まれる。なおかつギャグパートをいれて緊張と単調の緩和を促す。連載で読むとどういうことになってるのか想像しにくいけど、けっこうな寸止めも生まれる。
そして、それらを非常に憎たらしい使い方をした16巻の予告な。あとこれまでのスカしの蓄積な。そのおかげで16巻のなにげない予告カットがものすごいエモいシーンだってことがわかる。あのなにげなさはあの修羅場のあとのことだったのかと。ふたりの長くて重くて大きい葛藤や想いが交錯したあとだったのかと。まあ、予告は編集がやったことなのかもしれないけど、担当編集の技術も相当すごい。
17巻で特筆したいのは古見さんです。これまでにないくらい古見さんを描いてます。いわゆるデフォルメ顔じゃないやつで。古見さんというのは上記のようにコミュ症で他人から誤解をうけやすいキャラ。つまりは表情の変化に乏しいわけです。無口=無表情=無感情ですもんね。どうしても。
今回、クライマックスの階段のシーン、だいたい古見さんと万番木さんのアップで展開していきます。最初は上記のように表情のハバがない古見さんが徐々に言葉とともに思いを口にしてなおかつ表情の機微をみせていきます。これまででもっとも大きい表情の動きです。
そのセリフをこの表情でいっている。マンガにおける「絵が上手い」は突き詰めるとこれです。もっというとその気持をその表情に描いている。いい場面いいところの表情をみせない作風の作者も多いんだけど、これも突き詰めると手抜きかスキルが伴ってないとは思ってます。もちろん演出効果もありますが。本作でも17巻でも階段のシーンでもあります。でも、読者に「見たいものを見せる」というのは基本中の基本です。
そういう意味で、超おこがましいですが、作者はどんどん絵がうまくなっていると思います。古見さんの只野くんへの思いがきちんと画力「のみ」で表現できているもんなあ。マンガにおける画力の1番正しい使い方だと思います。
感情を爆発させたためにタイトルである「古見さんは、コミュ症です。」がブレイクしました。彼女は自分の思いをきちんと他者(万番木さん)に「声に出して」言葉で伝えることができた。古見さんがコミュ症ではなくなった瞬間。実にそれこそが作品全部のピークでもあるわけです。だから、この階段のシーンはとてつもなく重要。この先あるかどうかわからない只野くんが古見さんへプロポーズするときなんかとは比べ物にならないくらい重要。だからもう最終回でもいいんですよ。もちろんそれは死ぬほど困りますが。(だから表紙なんですよ)
しかし、そういうエモいシーンばかりでもなく、描画の技術は、「多少うまい土」であるベヌジットスポポ焼きを食べたときの顔でも活かされた。只野くん、万番木さん、あとコミック描き下ろしでは古見さんも食べていた。それらの表情はちゃんとギャグとして成立してた。
(なお1番好きな顔はチーズハットグを食べてる古見さんです)
すばらしいマンガだ。すばらしいとしかいいようがない。すばらしいといわないようにいろいろと書いてみたけど、やっぱりすばらしいという言葉に帰結する。
すばらしい
(そうなると1巻の只野がおかしいことにはなるんだけどね。そもそも周りの空気を読めない人間ってノリだったのがひとの機微がもれなくわかる人間になってるんだから。まあよくとるとそれは古見さんといっしょにいることで培われたり才能が開花したってことでもあるし、その解釈が美しいからそういうことにしておこう)