「日本語のロック」
・本作を読み終えたとき浮かんだモヤモヤしたものはこのコトバで結実したので、それを手がかりに書き進めてみますよ。
・さて、本作。
・最大のポイントはオビにある小さい小さいコトバ「コミック・エッセイ」です。
・コミックエッセイは、最近、コミックの棚にいないよね。すっかり1ジャンルできて別のところにまとめてあります。
・もともとそういうマンガはあります。「王様のブランチ」において、文芸書部門でランキングするようなマンガ。たとえば、「ゴーマニズム宣言」。たとえば、「ダーリンは外国人」。「ぼくオタリーマン」「だめんずうぉーかー」などなど。
・別にコミックエッセイじゃなくても、「あたしンち」とか「毎日かあさん」なんかもそうだですね。
・これらのコミックと、コミック部門で集計されるものとのちがいは正直なところわからない。もっといえば、成年コミックや、アンソロジー、同人誌なんかもランキングで表したらどうなるんだろう?って気がしないでもない。ま、オリコンの演歌ランキングとかと同じかしらね。
・そういうこととは別の差異が本作にはあります。それを読み解くポイントが「日本語のロック」です。
[日本語ロック論争 - Wikipedia]
日本語ロック論争(にほんごろっくろんそう)は1970年代初めに起きた日本語とロック音楽の関係性についての論争。別名・はっぴいえんど論争。
・へー、はじめて知った(おいおい)。
・えーと、おれの解釈というかフォルダに入ってることは、日本語は1音1文字だからもともとの英語の歌詞をのせていたロックと相性がわるい。そのままの内容は歌えない、すなわちバランスが悪いということで、そのことに関しては上記リンクで内田裕也氏が指摘して以降ずっと内在してる問題ではあると思う。たとえば、ヒップホップだったり、洋楽にいっさい影響がない世代がロックをはじめたりしたら、ときおり蒸し返されていた気がする。インディーズ、イカ天ブームやら、ヴィジュアル系やら。
・まあ、ミュージックマガジンっ子だったんで、それを「問題」としていたのは、その周辺だけだったのかもしれないけどさ。
・結論としては、ロックの音は洋楽からいただいているけど、日本語の歌詞は、独自に発達していったんじゃないかなと。
・だからたとえば、ビートルズの日本独自の編集盤である「ラブソングス」という、「ラブソング」を集めた2枚組のベストアルバムをつくろうとするときに、日本側の選曲にNGが出たらしいんです。
「ブラックバード」なんかを候補に入れてたらアメリカ側で「そりゃラブソングじゃねえよ」ってNGがきて、たとえばカバーの「ワーズオブラブ」が収録されたりしたそうで。
・やばい。そろそろなんの話をしていたのかわからなくなりそうだ。
・本作はその「コミックエッセイ」を独自で解釈し発展させた、たぶん、極北の書ではないかと。「コミックエッセイ」って輪っかをつくってなかにいろいろと入れていったら、輪の端っこの線の上に立っていそうな気がする。すなわちそれ「最前線」。そういうことを書こうとして日本語のロックなんていったのよ。
・つまり、かなり既存のコミックエッセイに影響を受けてないと。
・コミックエッセイに関しては思うところがある。
・最近の文芸書コーナーにあるような1200円くらいのやつな。
・なんつーか、タイトルみただけでどういうことが書いてあるかわかる。たとえば、ココロの病になったのとか、妊娠出産で大変だったのとか、あちこちでひとり様をやってみたのとか、あちこち旅行いったのとか。表紙とオビ、あるいは裏表紙をみただけでどういう内容かがわかる。
・それでいてシンプルなかわいらしい絵で、デフォルメを効かせた表情やセリフ(動きはそうでもない→なぜなら描けないから)でおもしろおかしく展開する。それがどんなダークな内容でも。
・あと大事なのが作者=主人公が女性であることな。割合はどれくらいかわからないけど、100円賭けてもいい、女性のほうが多い。
・もともと書店には「女性エッセイ」なんて棚があるくらいで、そこのスペースをどんどん割り込んでいっている状況かと。
・これほどみかけるということは、一定数売れてる、すなわちニーズがあるからだろうと思うし、それについてどうということはありません。いくつかココロ震えるような名作があるし。
・けど、それが「コミックエッセイ」と全てみたいに思われるのは抵抗あるのです。
・たぶんに、吾妻ひでお氏がありきなんだと思います。それでいて、ギャグマンガ家のやっていた本編に楽屋話がまざるのや、少女漫画の雑誌連載時の余白をコミックになるとき埋めるためのマンガによるあいさつやよもやま話が「コミックエッセイ」の萌芽で、吾妻ひでお氏の「不条理日記」なる金字塔が立ち、その楽屋よもやま話がメインとなり、現在まで至るのでしょうか。
[
こうの史代【平凡倶楽部】]
・本作、「コミックエッセイ」でありながら、「コミック」のところも「エッセイ」のところも限りなく独自の解釈で「これでもいいよね?(コミックエッセイだよね?)」みたいに広げておられる。
・もともとがWEB連載ということと、多分に担当編集の柔軟さフトコロの広さがすごくいい具合に作用されているのか、やりたいようにやられており、27回にタダの1回もダブりがないんです。なんのダブりかというと、内容、作風、表現法、虚実の割合です。それでいて、こうの史代さん自身に起こったよしなしごと「のみ」を記してるわけです。まあ、プラス関連したいくつかの短篇も含めてあります。それがまたいいアクセントであり自然に収まっている。
・バラエティさは上記リンクに収録されている5回分の収録をごらんになってもおわかりいただけるでしょう。
第20回「東京の漫画事情」では、東京都の青少年健全育成条例の改善案についての「取材」。
第24回「曇天ゆけむり殺人旅情」では、日光の華厳の滝をみたときの感想と油絵。
第25回「アサキユメ」では、切り絵で、月がのぼってから夜が明けるまでを。サイレントで。
第26回「密かな休日」は平凡社にむけてだした2枚の「絵葉書」。
最終回「8月の8日間」その1その2では定点カメラで、広島の8月にあるイベントの観測を。
・これらすべてネタがちがうこと、それでいて「コミック」であること、「エッセイ」であること、そして「コミックエッセイ」であることですよ。ちょっとした奇跡みたいに、1冊にある。身の回りのささいな日常を描いたという奇跡。
「東京の漫画事情」は「コミックエッセイ」か?という疑問は浮かびます。本作内(いくつかの短編はのぞく)に活字はいっさいなくて、文字の多いところでも全ては書き文字だったりします。この回はその最たるものです。青少年健全育成条例の担当者に話を伺い、いろいろと興味深い発言を引き出しておられます。
「コミック」というと限りなく薄いですが、一応、「絵」もありますしね。
・副都知事が「傑作ならば規制しない」なんてことをTwitterでおっしゃっていたのも記憶に新しいですが、こうの氏のまごうことのない傑作「この世界の片隅で」は、「未成年」の女子が愛のない結婚をしてるので条例にひっかかるおそれがあるかもとして審議してもらうように申請しておりますよ。もし、どういう審査が行われているのかわかりませんが、この作品が条例に抵触するようなことがあるのかね?とか。
・というより、これを読むだけで、条例が非常にあやふやで怪しいことになってることがよくわかる屈指の資料になってると思いますよ。だって担当者が「わからない」連発だし、いろいろな横のつながりや連携がまったくないんだもの。当時がそうで、今はちがうのかもしれませんけどね。
・一方で「アサキユメ」は限りなく創作ですね。切り絵で月がのぼり夜が明けるまで、絵をつなぎ合わせるというエッセイ要素もコミック要素も少ないものです。月がのぼり、月が割れて玉子になり、玉子の黄身のハイライトがトンネルの出口になりという具合に。
・そんな数々の中、たぶん、最高傑作というかちょっとしびれあがるくらいすごいなと思ったのが「私の白日」です。2ページで前記の有象無象の「エッセイコミック」群に匹敵するようなことが描かれております。いろいろとびっくりします。その内容がユーモアって糖衣にくるんであることにも。
・全体的な内容にちょいと踏み込むと、本作は、前記の名作「この世界の片隅で」を2年の歳月を経て完成させたあとはじまった連載で、その作品自体が随所に影響を及ぼしております。
・連載はじめてすぐに「戦争を描くという事」でダイレクトな想いを吐露され、「二二年二月二日」では「この世界〜」が文化庁メディア芸術祭で優秀賞をもらったということでパーティーに参加される様子を覚書風に日記にされ、短編マンガ「なぞなぞさん」では戦争を描くマンガ家としてインタビューされるということを描かれてます(これは創作ってテイなんでしょうけど)。そして本書でしか読むことのできないあとがきにもそこんとこが描かれてます。
・その思いそのものにもすごくココロを動かされるし、こうの氏のココロを動かされた意見に対しても「なんで?」と思ったりします。
・そして、本作、それらの姿勢全部ひっくるめて、とっても「ロック」なんですよ。ロックのもっている攻撃性を感じます。それが「日常を描き続ける漫画家、こうの史代(オビ裏より)」によって提示されているのがスゴイ痛快なんですよね。
・ここしばらくのどこのなによりもアグレッシブで、魂の叫びを感じます。そういうあふれる思いをもって「日常」を描いておられます。ギャグも描かれております。すごいことですよこれは。
「すごい」エッセイコミックとは、「おもしろい」エッセイコミックとは、身内や自分がうつ病になったり、自分が出産したり、ガイジンと結婚しなくても描くことができるのです。
・本作1冊で、「コミックエッセイ」の可能性を何百倍にも広げたと思います。
・ときおりそういうエポックな作品は生まれます。前記の「不条理日記」しかり、「ゴーマニズム宣言」「しあわせのかたち」などなどね。それらが書いてある歴史年表に新たにくわえるべき1冊であります。
・でも、これらの作品とちがい、完全たるワン&オンリーなスタイルである、誰にもマネのできないモノなのだったりもするのです。こうの史代氏にしか描けないエッセイコミックです。いくつかの「部品」は模倣できるかもしれないし、使われると思いますが、「平凡倶楽部」というひとつの作品はこうの史代氏にしか描くことのできないのです
・それらはこうの作品全部をみてもそうだし(本作を経て、また「楽しい」マンガを描く決心がついたとおっしゃってますし)、2010年に発表された全マンガ作品においてもかなりの重要作品と思います。
・マンガ史のスパンをGoogleマップみたいに引き伸ばせば伸ばすほど光り輝いてみえるはずです。10年後50年後100年後。100年後にマンガがあるのかわかりませんけど。
・そして。
・上記のよく解らん文章全部いったんクリアして(貧乏性だから消さないけど)、ただ楽しい日常コミックエッセイとしても読むことができますしそれこそが本線ですね。それがまた信じられないくらいすごいのですが。
・こうの氏にしみついてるギャグセンス(「今日の運勢」で大笑いさせていただきました)と、相変わらずスゴイ絵をあらゆる手法であらゆる発想(「注目の新刊」の書評はすげえ)で、描かれてて、それらは「楽しい」に直結しています。
・あーと、弱点というか、弱いところもあるかな。これまでのこうの作品の随所に忍ばせてある艶がないことかね。こうの作品はどれもエロティックというか艶っぽさが漂ってるんですよ。本作はナイとはいいませんが少ないかなー。ま、自分のこと描くのに艶っぽさが出すぎるのもアレですものねえ。
・短編「古い女」の最後の笑顔とか、「四月の雪を追いかけて」のお母さんのうなじとか?あ、でも、萌えもありますね「聖さえずり学園」。
(「聖さえずり学園」読んで、「マジで萌え4コマ描きませんか?」ってオファーきたんですよ的な笑い話もありそうだなあ)
・こうなってくるといよいよ自慢話になりますが、同人版の「こっこさん(こうの史代氏を知る最初の1冊として最適)」の感想をWEBに書いたら公式サイトの掲示板にリンクされて「もっとわかりやすくほめてくれ」とコメントをいただいたことはすごく誇らしいことになるんだな。
・どうだいいだろう?
・そしておれはこれからも自慢したいので、こうの氏はどんどんステキな作品を描いていただきたいなと思います。「おれはあの人間国宝のこうの史代さんにコメントをもらったことがあるんだ」って孫なんかにいいたいから。
オススメ・もう、こうの作品は全部そうなりそうな気がするなあ。ゴルゴ13みたいな社会派クライムアクションとか、週刊少年誌の海賊の少年が主人公のバトル作品描かれてもスゴイの描きそう(絶対にお描きにならないと思いますが)
・カラーページ多数の、とても丁寧な作りになっております。そうなると手に入りにくくなる可能性も高いということなので、気になった方はぜひ早いうちにお求めを。
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